2022年


ーーーー6/7−−−−  長咲きの桜


 
我が家の裏庭にある桜は、私のお気に入りである。まず花が美しい。花弁の先がほのかに赤く縁どられていて、可憐である。そして花期が長い。同じ敷地内の山桜や、近隣のソメイヨシノが完全に散り終わっても、この桜は満開の状態が続き、長い間目を楽しませてくれる。

 普通の桜のように、パッと咲いてパッと散るというのではない。満開になっても、同時につぼみがある。つまり、花が咲く端からつぼみが発生する。先に咲いた花が散る頃、つぼみだった花が咲く。その繰り返しパターンが、三週間ほど続くのである。

 明らかに花期が長いということは、以前から気が付いていた。今年はさらに驚きの事実を知った。最初の開花からおよそ50日経っても、まだ花が咲いているのを発見したのである。一つ二つであるから、よほど注意深く観察しなければ気付かない。それでも元気な花である。旺盛に繁る新緑の葉に埋もれるようにして咲く、淡いピンクの花は、幻のような光景であった。

 これは今年に限った現象かも知れない。以前山から採ってきて移植したイワウチワは、今年も花を咲かせたが、例年より長かった気がする。気候の関係で、花期が長くなることがあるのか。もっとも山桜は、知らぬうちに咲いて、気付いたときは散り始めていた。

 自然界の植物は、人の想定が及ばない生きざまを展開するのである。




ーーー6/14−−− 「突然」のリアリティー


 
ある夜のこと。晩酌に使ったグラスを洗い、収納棚に戻そうとしたとき、手元が狂って落とした。床に達するまでの一瞬の間、「無事であってくれ」と願ったが、その思いも空しく、粉々に割れて散逸した。食器を落として割るなどということは、ついぞ記憶にないくらい、私にとって稀なことである。

 知人から香典返しに送られてきたカタログギフトの中で見付けた品物である。濃いブルーの切子細工の小ぶりなグラスで、自分では買えないような贅沢感がある一品で、とても気に入っていた。淡いピンク色のものと対になっており、それらを交互に毎日の晩酌でつかうのが、ささやかな楽しみであった。それを落として割ってしまったのだから、ショックは大きく、絶望的な気持ちになった。

 事件は突然にして起こる。それは常日頃心にとめている事であり、いざと言う時に慌てないよう、心構えもしているつもりだ。しかし実際に事件が発生すると、理性でうわべを飾ったような心構えなど消し飛び、「突然」のリアリティーに打ちのめされる。

 お気に入りのグラスを失った悲しさもさることながら、突然に事件が起こる不条理さに、心をとらわれた。そして、いずれの日にか発生するであろう、破局的な出来事への、漠然とした不安が沸き上がった。




ーーー6/21−−− 納品登山


 
先週の月曜日、燕岳に登った。これまで10回以上登った山だが、前回は2014年だったから、久しぶりの感がある。

 このところ、すっかり登山から遠ざかってきた。それは、2019年の夏に北アルプスの餓鬼岳へ日帰りで登り、完全にバテて、自信を喪失したことが原因だと思われる。それに加えて、この10年あまりの間に、登山の最中に足がつるようになった。登り始めて3時間くらい経つと、つり出すのである。例の餓鬼岳の時もつった。足がつる恐怖に怯えながら登るのはなんとも情けない。それやこれやで、登山に対する意欲が無くなってしまったのである。

 今回は、燕山荘に納品をし、売店担当者と打ち合わせをするという目的があった。この目的が無ければ、登ることは無かっただろう。いちおう山頂も踏んだが、それはおまけのようなものであった。

 この日は、数日ぶりの晴天が予報されていた。それも一日限りの晴天で、その後も雨の日が続くとの予報だった。それで、この日の登山が実行された。体力に確信が持てなかったので、行動時間に余裕を取るべく、朝5時に自宅を出た。そして9時過ぎには燕山荘に着いたのだから、予想外に順調だったと言える。心配された足のつりも出なかったのは、有難かった。一昨年の11月から、毎日続けている三本ローラー台の自転車トレーニングで、足の筋肉がそれまで以上に太くなってきた。その効果が出たのだとしたら、嬉しい事である。

 晴天が続いていたので、そのまま山頂へ向かった。360度全てが見渡せる、素晴らしい眺望だった。山頂に居合わせた数名の人々は、それぞれ入念に写真やビデオを撮り、立ち去り難い様子だった。私はこの登山のために新調したサングラスを持参し、登山路に雪が出てきた辺りで装着していた。そのサングラスの性能のせいなのだろうが、山頂から眺めた景色は、ものすごく立体的かつダイナミックで、変な言い方だが、3D映画を見ているようだった。

 山頂の標識から少し離れた場所に座っていた男性が、突然「ドローンを飛ばします」と発声した。そして、各種の許可は取得済みだと付け加えた。直後に小型のドローンが男性の手から飛び立った。ドローンが飛ぶのを直に見るのは初めてだったので、面白かった。横っ飛びに移動するスピードの早さが印象に残った。ドローンが戻った後、男性に近寄って話を聞いた。男性は嬉々としてドローンの説明をしてくれた。

 燕山荘に戻り、靴を脱いで中に入った。4月に里で納入した製品(象嵌物語)が、売店に並んでいた。売店のスタッフに、「象嵌物語の製作者です」と自己紹介をすると、「わあっ、そうなんですかぁ」と、心地良い反応が得られた。追加で納入する製品を渡し、販売に関する打ち合わせをした。とても感じが良い女性スタッフだった。山小屋で働いている女性スタッフというのは、概して感じが良く、チャーミングである。

 用事を終えて下山した。下りも順調に進み、3時前に登山口の有明荘に着いた。温泉に入るつもりで玄関の前まで来ると、外来入浴は3時で終了と書いてあった。念のため中に入って訊ねたら、コロナのためにこのような時間割になっていると、申し訳なさそうにスタッフが答えた。有明荘にも商品を置いてあるので、担当スタッフに会って話を交えた。まだ一つも売れてないが、有明山の登山は、この先シャクナゲの時期から賑やかになるので、勝負はこれからですと、これも優秀な女性スタッフが応えた。

 事前には一抹の不安も抱いた登山だったが、結果的には何の問題も無かった。そして、商売がらみで登山をするのは、今回が初である。どのような展開になるか、先が見えない部分もあったが、こちらの方も良い感触を得て、希望を見出すことができた。それやこれやで、思いの外の充実感を覚えながら、軽トラに乗って帰路についた。





ーーー6/28−−− 燕岳のドローン


 
燕岳の山頂でドローン飛行を見た話は、先週の記事で触れた。それをもう少し詳しく述べてみよう。

 飛行が終わり、ドローンが60歳前後の男性の手に戻った後、私は「ちょっといいですか?」と言って近付き、手始めに「ドローンは墜落することは無いのですか?」と聞いた。すると男性は「待ってました」とばかりに喋り出した。

 高級機種(15万円前後から)ならば、墜落や紛失の恐れは無いそうである。問題はコントローラーからの電波を、機体が正しく捉え続ける事だが、高級機種ならば、仮に遠方へ飛び過ぎて電波を失ったら、機体はコントローラーのある場所へ自動的に戻ってくる。安価なドローンは、そういう機能が付いていないので、簡単に行方不明になってしまうとのこと。

 男性が飛ばしていたのは14万円程度のものだが、「とにかくコンピューターが飛んでいるようなものですよ」と自慢げに語った。機体に内蔵されたGPSと各種センサーにより、機体の位置や高度は自動的に制御される。たとえばホバリング(空中停止)させるにしても、従来のラジコンヘリコプターだと、操縦者が目視で機体の位置を確認し、風に流されたら操縦で対応させるしかない。ところがドローンは、風が吹こうが、気流が変わろうが、位置のずれを自動的に補正する。例えば急に風が吹いて流されそうになったら、プロペラの角度や回転数を調整して、風に抗するようにする。それを常時行っているから、何があろうと同じ位置と高度を保ち続けるのである。

 「まったく初めての人でも、自由自在に飛ばすことができますよ」と男性は言った。前後左右の方向転換、上昇下降、水平と垂直の回転、などをコントローラーのレバーで操作するだけである。回収したいときは、専用のボタンを押せば、勝手に操縦者の元へ戻って来る。ドローンに搭載されているカメラの画像は、コントローラーのディスプレイに映るから、それを見ながらアングルを決めることができる。ディスプレイには、機体がどの方向へどれくらいの距離にあるかが表示される。また、飛ばしているエリヤの地図が表示され、機体の現在地がマーカーで示される。まさに至れり尽くせりである。

 ところで、先ほどドローンを回収したとき、男性は自分の体の脇に機体をホバリングさせ、下から手を差し上げて掴む動作をした。「あれはちょっと難しそうですね」と聞いたら、平地なら地面に着陸させれば良いが、山の上では安全に着陸させられるような場所が無いので、手で掴むのだと。別に難しいことでは無いが、手の平を素早く差し上げるのがコツとのこと。そうしないと、地面が接近していると勘違いをして、ドローンが上昇してしまうそうである。

 「誰でも簡単に飛ばすことができる」、を繰り返し述べた男性だが、最後に「だから逆に事故やトラブルが多いのですよ」と言った。そのため、規制や届け出が厳しくなっているそうである。今回、燕岳周辺を飛ばすにあたっても、国土交通省、環境省などいくつかのお役所に届けを出さねばならず、中にはフライトプランを求められるものまであったとか。画期的に便利な代物ではあるが、使って楽しむにも苦労が伴うようである。